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『週刊誌のツボ』 ★棚に上げる力

 モノを書く仕事に就きながら、このところつくづく言葉の無力さを感じている。事実と論理に基づく、という最低限のルールに従わねば、対話は意味をなさなくなる。最近、ある席で頑なな陰謀論者に“議論”をふっかけられ、そのことを痛感した。

 この人物曰く、メディアの世論調査はみな操作された数値であり、すべては国際的な“陰の権力”にコントロールされているのだという。だとしたら、メディアによる選挙の事前調査はなぜ、かなりの精度で結果と重なるのか。ニセ世論を適当に加工したところで、まるで違う選挙結果が出てしまえば、そのウソはたちどころにバレるのではないか。

 いや、最近は選挙の投票結果さえ、ウソの票数に差し替えられるのだ。コッソリ操作できる秘密の集計機が導入されていて、不正選挙がまかり通っている、と相手は譲らない。でも、仮にそんな集計機があるとしたところで、現場にいる選管職員を全員、口止めすることなど不可能だ。どうしてその不正は発覚しないのだ。

 選管の職員たちは、事前の思想調査で選別されている。「上からの指示」に逆らう者はいないのだ。だったら、その思想選別ではねられた職員はなぜ、「おかしい」と声を上げないのか。全国で見れば何十万人という自治体職員が開票作業に携わる。その事実が漏れないはずはない。いやお前はまだ、“陰の権力”の恐るべき実力を理解していない。証拠や裏付けに執着する“旧来のジャーナリズム”にとらわれている限り、その実態はつかめるはずがない。自分のように、ネット情報を丹念に見る者にだけ、“真相”はわかるのだ。

 このあたりでもう、当方はギブアップである。結局のところ、信じたいことだけを信じる人々に、論理は無力である。アメリカのトランプ・ファンが注目されているが、こうした人の増加はイデオロギーにかかわらず、すでに世界的な潮流なのだろう。「きちんとした言論」が成り立ち得る空間は、驚くべきスピードで縮小し続けている。

 活字媒体の世界でも、「事実と論理」の無視・軽視、そして主張の整合性おかまいなし、という風潮は目を覆わん状況である。どの媒体を見ても、暗澹たる思いになるのだが、それでも気を取り直し、今週も各誌に目を通した。目を引いたのは女子体操界の“女帝”塚原千恵子氏の問題。文春は、塚原氏がかつて自分自身、体罰を振るう指導者であったとし、これを批判、新潮は逆に彼女の言い分に誌面を割き、擁護する立場に立っている。

 どちらか一方が正しいという話でなく、暴力指導とパワハラ、本来なら双方とも撲滅すべきことなのだが、個人的にはもう、ワイドショーの過剰報道でこの件には食傷気味である。唯一、気に入った文章は、新潮記事がテレビによる塚原夫妻バッシングを批判した次のくだりだ。その文は、テレビ業界の視聴率至上主義に触れ、《結局、綺麗事の裏にある本音はビジネス、「体操界交戦」の汚い勝利者はテレビである》と、記事をまとめている。注目を集めれば、それで大成功──。昨今の雑誌報道にもどんぴしゃりの言葉を、よくぞまぁ、他人事のように書けるものである。私は当該記者の「棚に上げる力」に感服し、思わず笑いそうになってしまった。

 文春は、沖縄知事選の有力2立候補予定者それぞれに「隠し子疑惑がある」として特集した。結局、一方の噂は真偽不明、もう一方は「婚外子はいるが隠してなどいない」というだけの記事だったが、相変わらずのひどい記事である。

 本土から押しつけられた基地をめぐり県民が激しく対立し、その構図を「本土の人間が上から見て笑っている」。生前、翁長雄志知事が繰り返し口にした怒りの言葉だが、文春はそうした問題の本質に一切目を向けず、今度もまた、「隠し子疑惑」なる話題を見つけて来て「上から笑っている」。この執筆者もたまには、「本土メディア」の一員たる自らの当事者性について考えてみたほうがいいように思う。

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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。

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