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<医療過去未来>医療の「大量消費時代」とは何か⑭保険医療費は減っても医療費は増える

 ここまで、老人医療費無料化を核として、特に戦後経済成長とともに日本の医療費が拡大していく要因とモチベーション、そして現状のがん診療における開発産業側と医療関係者サイドの思惑の違いが見えてくるような状況までをみてきた。老人医療費の無料化は約10年で有料化に転換されたが、それでも国民の受療意欲を構造化したという点で現実の医療費増問題の中核になると、筆者は考える。無料化時代の80年代初頭に当時の厚生省のトップ官僚が語った「医療費亡国論」は、この構造化を予言していたという点で、まさに正確な分析だったということができる。

 前回、代替医療やサプリメントなど、医療費を縮小させるかもしれないという期待を背負っているテーマに進みたいと述べたが、今回はそこに入る前に医療費に関する現状と将来のテーマを小括の形で整理しておきたい。

●実は医療費の中身は精査も統一もされていない

 第一に留意しておかなければならないのは、このコラムでもそうだが、「医療費」と語られるとき、多くは「保険医療費」のことを指す場合が多いことだ。筆者はここまでそのことの定義を疎かにしてきたことは詫びなければならないが、「医療費の増嵩」という場合、大抵は筆者に限らず「保険医療費」を指している。

 米国ではオバマケアは今のところ機能しているものの、基本は民間保険を主流とした自由診療。そのためにマイケル・ムーアの「シッコ」というドキュメンタリー映画でも示されていたように、民間保険料の支払いができなければ医療からは締め出されるという事態も起きるし、保険商品によって適用される医療内容にも落差がある。

 米国の医療費は世界で最も対GDP比で大きいが、その高額化と医療市場の拡大によって、高度な医学研究費や開発費用を生み出している側面もある。医薬品、医療機器産業の開発力のトップランナーをこうした構造で支えている。したがって、米国の医療費は高いが、産学の支え役であり、それがオバマケアのような医療費政策に還流していないという批判はあるものの、それらを包含して「医療費」と括られる。

 ここで留意しなければならないのは、米国における医療費がそうした投資費用も含んでいる状況と、例えば病院建築費や医師育成費用も含んでいるともされる「米国医療費」がいったい何を反映し、積算されているのかが判然としないことだ。一方で、日本では保険医療費はかなりピュアに診療費用というニュアンスで語られているが、投資費用として活用されている実態がないわけではない。

 国内では有数のマンモス総合大学のひとつである近畿大学の塩崎均学長(外科医、元近大病院長)は、その著書『常識破りの大学解体新書』で、近大の財務状況を語るなかで、大学病院の収益が大学全体の健全経営に貢献していることを明らかにしている。医師育成だけでなく、一般学生の教育投資としても活用されている側面はあることにはある。医療機関の再投資費用に保険医療費が活用されることは当然であり、それは医療費ではないと言い切ることはできないのに、なぜか世間は医療費というと、すべてが治療や療養費用に使われていると思い込んでいる(一般メディアを含めて)という矛盾は国内でも存在することは明確化されるべきだ。

●英国のNHSは日本の国民には馴染むか

 また、英国のNHS(国民保健サービス)は世界のモデルのようにいわれるが、人頭払い制を基本としており、高度医療(2次、3次医療)にアクセスするにはGP(家庭医)というゲートキーパーをくぐらなければならない。GPへの受療も予約診療が基本であり、日本のフリーアクセスと同様の態勢が完全に担保されているとは言い難い。

 ただ、この予約診療で大きな問題が起きていると伝えられることは少ない。それでも、英国内では大衆紙などが頻繁にGPの批判を展開する(英国の家庭医のリーダーを担うグレアム・イーストンはその著書で何回か大衆紙に対して敵意を示しているほどだ)ところをみると、GPにしか頼れない人々の階層性を想定できるし、そのアクセスに不満がないわけではない。

 また、英国の富裕層は大抵が、プライベート医療という民間医療保険に対応する医療機関を持っている。その意味では、NHSは無料だが、厳しいアクセス規制と医療内容の制限でその制度が維持されていると了解したほうがいいようである。

 日本の識者のなかには、英国のGP制度の導入が医療費問題の解決策だと暢気に論じる人もいるが、現在のフリーアクセス状態、GPという制度に基づいたいわゆるオールマイティに多様な疾患に対応できる医師の育成が遅れている段階での制度導入は明らかに無理である。風邪をひいても、手足を怪我しても、耳が痛くても、腰が痛んでも、登録されたひとりのGP、あるいはGP医療機関に予約しなければならないという作法は、今の日本人には日常生活の後退的変革にしか映らない。

 総合診療専門医の育成が始まったが、国は総合診療専門医が世の中には出てきた暁には、フリーアクセスはできない制度に転換するというキャンペーンすらまだ行っていない。

 世界一高い「医療費」の米国、国民負担という意味での低医療費の英国は、日本の受療構造、保険制度とは骨格が違う。「医療費」は一概に比較はできない。

●注目されるOTCスイッチ政策の動向

 第二に考えなければならないのは、高齢化と疾病構造の変化に伴う「保険医療費」の変質である。保険医療は結核などの感染症治療に大いに役立った。老人医療費無料化を契機に、慢性疾患がその主役となり、脳卒中の死亡率を劇的に減らしたという効果も招来した。死亡順位でがんが1位になり、がん治療に医療費批判の矛先が向かいがちになっているが、疾病構造から言えば相対的な問題であり、健康意識の変化とともに減少し、保険医療費用も総じて単価が低くなった脳卒中関連疾患から、相応に大きなニーズに変わったがんに医薬品産業などのアプローチが増加するのは当然のことだ。そうした疾病、年齢構造の変化から軽費医療は自己負担を高額に、高額医療は低負担でというロジックが生まれる。

 このロジックの登場は新しいものではない。実際、高額療養費制度がその意義を認められているのは、その論理に基づいた政策展開である。これが、もっと進展するとどうなるか。軽度医療の保険からの締め出しにつながっていくことは火を見るより明らかなことだ。おそらく、18年度改定はOTCスイッチ拡大への議論が盛んに行われるだろう。日本では大衆薬は医療費の範疇に入らない。保険ではないからだ。同時に18年度改定では論議となりそうなリフィル処方も、保険の範疇ではあるが、OTC薬と処方薬(一部を除いて)の垣根を下げる役割を果たしていくかもしれない。

 保険医療費の増嵩を食い止めるには、保険の枠組みから一部の技術やモノを保険の外に出すことだ。高額な高度医療を自己負担とする「混合診療」の発想は、保険医療費を小さくするための政策であり、原初的な経済的側面からは考え方としては同根だと言える。

 ただし、混合診療が導入されると「医療費」の考え方には変革が起きる。格差社会の進行、貧富による国民の分断を招くことは間違いないが、混合診療は総体として医療費に組み入れなければならなくなるだろう。そのとき、保険医療イコール医療費という常識は崩れる。OTC薬も医療費であり、健康の質を確保するという目的ならば、サプリメントもジムも民間医療保険料も医療費に組み入れなければならない。

混合診療は国民の選択だ。健康や疾病に関する国民の選択もすべて「医療費」にならなければ税制上の対応も不公平だ。ある意味、カテゴリーが拡散することで、医療大量消費時代は爆発の時代を迎えるかもしれない。大真面目に捉えられては困る。多少の皮肉は筆者の意図として理解してほしい。

 第三点は、キュアとケアの課題だ。第二に共通してくるが、いわゆる「療養」、ケアと捉えられている部分は、今やどんどん医療費から外れている。介護度5や6でも施設療養が優先される時代になりかけている。そして、このことが今や最大の課題であり、医療費だけ減ればいいという話の終焉はすぐそこまで来た。医療費が減れば社会保障費用全体の低減につながるわけではない。そして、ここにも「国民の選択」という話が浮上する。ケアとキュアの問題については、この連載の最後に眺める。

 次回は代替医療やサプリメントの展開と医療費の関係をみる。(幸)

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